私の若く甘い実



 膨らんだ腹が、湯船の水面から半分ほど浮かんでおり、まるで島のように見える。
 大きく呼吸をすると、水気を含んだ薄甘い湯気が喉を抜けて、スッとほどけた。白い肌に血が通い、腹部を裂くように刻まれた赤い疵痕が一層際立っている。火照った頬の上を汗が一筋、滑り降りる。

 ぽちゃん…と、水滴が落ちた。

 再び、大きく呼吸をする。息を吐き出すと共に、グッと唇を噛んだ。鋭く、子宮を刺すような痛みがある。目を瞑り、腹をおさえた。長く息をして、痛みの間隔が短くなっていくのを実感する。両脚を軽く広げ、汗ばんだ顔に張り付く前髪を払った。

 すると、背後から腕が伸びた。その腕は湯船の栓を引き抜き、唇を持ち上げてにこりと笑う。
 ゴボッという音と共に、湯が渦になって下へ下へ落ちていく。

「お風呂場で産むなんて。ゆで卵になっちゃうよ」
「…………」

 悪魔は、その声に返事もせず、頷くこともなく、ただ黙って俯いていた。
「ねぇ……無視しないでよ」
 魔王は、悪魔の首に腕を絡める。

 悪魔はアッシュの腕を叩き、怒りを込めて強く睨めつける。足元を、湯が排水溝へ向けて流れ落ちていく。
「…触ルナッ…!」
 アッシュは残念そうに苦笑するが、ゆったりと彼の髪を撫でて、微笑んでいる。
「いいじゃないか、だって私は――」
「言う……ナッ…!!」
 叫びながらも、その声は言い淀むような、恥の前に消え入りそうな、そんな弱々しさを感じさせた。それは魔王にとってとても嬉しい、喜ばしいことで、目の前の彼が心から狼狽して屈辱に身を縮めていることも、抱きしめたくなるほどに愛おしい姿だった。

「私はお前を愛しているんだよ……」

 ゴボゴボ、と汚い音を立てて、湯が完全に抜けてしまった。
 肉体をくるんでいたぬるい膜はなくなり、裸のまま、その場に座り込んでいた。腹の痛みはどんどん酷くなる。
 熱が気化して、体が冷たくなっていく。
「……ハ、……ク、ウッ」
 痛みの矢が、産道を貫いて肉の層を何度も繰り返し刺しているかのようだった。
「……アアッ」
 深く、深く呼吸をする。グッと喉を反らして、背中をバスタブの壁に擦りつけた。汗が、喉を伝って落ちた。

 赤い肉のひだが膨らみ、内側から外側に向けて花のように開いた。
 その真ん中に、灰色の影があった。
 まだらの、ぷつぷつした模様がいくつもある。卵だった。悪魔は何度も呼吸を繰り返し、腹に力を入れた。
 それは、殆どなんの抵抗もなく、つるりと生まれて、濡れた底を少しだけ転がった。
 ゆるい粘液に包まれたまま、すぐに止まった。

 魔王は穏やかな表情で、それを見守っていた。
 悪魔は自分の顔を覆い、何度も呻いて、背中を反らせながら、ちいさな卵を産み落としていく。
 灰色の。僅かに、紫がかった。掌で簡単に握り潰せてしまいそうな、儚いものを。

「……ァ……ハ」

 溜息と共に力が抜けて、顔を隠す指の隙間から、涙が流れ落ちる。
「よくがんばったね」
 背後から抱きしめる魔王の腕から、逃れるように身を捩る。
 それでも、振り払う体力もない。情けなく身を屈め、せめて顔を隠して、自分を覗き込むアッシュからその心を見破られまいとするばかりだった。
 足下に転がる卵も、蹴り壊そうと思えば、それも簡単にできたのだ。
 しかし、悪魔にはそれが出来なかった。
「君は優しい子」
 悪魔の頭を撫でる魔王は、彼の体を抱き上げて、自分のマントの内側に囲った。






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 ――雀の小姓クリアネスが、タオルと小さな籠を手に、魔王の前に歩み寄る。
「魔王様……その、お言葉ですが」
「うん?」
 笑顔で振り返る魔王の胴体は、樹の虚のようになっている。その中心を、わさわさと、枝や根が蠢いている。大量の蛇がゆっくりと動き回っているかのようだ。
「……あまり、趣味が宜しくないかと」
「お前はレイニーよりも素直だな」
 満足そうに頷き、未だ“食事”を続ける腹部を、自分のマントで覆い隠した。
「卵は?」
「あ、これこれ」
 クリアネスの籠の中に、小さな灰色の卵を数個落とす。
 まだ温かい。少し、柔らかい。
(――過去の恋人の似姿を作って、妊娠させて、弄ぶなんて)
 クリアネスは、籠の中のいくつかの卵を、憎々しげに見下ろしている。
(長生きできない肉人形を、生ませては殺して食べて、生まれては殺して……食べて……)
 幸せそうな魔王の前で、部下は静かに首を振る。

(残酷なひとだ)

おわり
2013/09/06